Google

2006年01月22日

商人は損していつか倉が建ち

商人は損していつか倉が建ち
 商人は損をして(いる、損をしていると自分で言いながら)いつのまにか倉が建ってしまう。
 外からは窺えぬ商売の不思議をずばりと言い当てた言葉。

あの「ホリエモン」の「ライブドア」が今、大変なことになっていますね。
ニュースによると、
 『インターネット関連企業「ライブドア」グループが2003〜04年、人材派遣会社など2社を株式交換で買収した際、2社に渡った自社株を、実質支配する投資事業組合に買い戻させていたことが分かった。
 ライブドアグループが、投資組合を介在させて自社株を取得・売却したケースは既に3件が判明しているが、買収を発表した際に、投資組合の存在自体を明かさず自社株を売り抜けていたことが明るみに出たのは初めて。

 また、ライブドアが実質支配する投資組合を通じて自社株を購入した行為は、自社の資金で自社株を不正に購入することを禁じた商法の規定に抵触する恐れがある。』

株のことはよく分かりませんが、自殺者も出て、吃驚ですね。10年で○千億円というのですから、想像もつきません。しかし、本当の商売はコツコツと堅実に「牛のよだれ」のように努力を続けて、そして倉を建てるのが本物でしょう。
posted by suzuka at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月18日

秋葉山から火事

秋葉山から火事
 (火災予防の神、静岡県の)秋葉神社から火事(を出す)。
 「秋葉山」は静岡県西部、天竜川の東岸の山。高さ870メートル。山上に火之迦具土神を祭る秋葉神社がある。ここは火災防鎮の神として知られ、12月15日、16日の両日行われる火祭りが有名である。すなわち、火災予防の本家本元から火事を出す不始末をいい、総じて、指導的な立場の者が、皮肉にもみずからあやまちを犯すことにいう。

商人と屏風は直ぐには立たぬ
 商人と屏風は(似たところがあって)まっすぐに(立てたら、倒れて)立てない。
 屏風を立てるときに、畳の上へ「一」の字を書くように伸ばして立てたら倒れるから、かならずいなずま形を描くように屈曲させて立てる。商いも同様に、正直一方ではもうけも少なく、商売は成り立たない。商人道の自己弁護というよりは、わきからの皮肉であろう。「商人と屏風は曲がらねば立たぬ」ともいう。

商人(あきんど)に系図なし
 商人には(代々大商人だったということを示す)系図などはない。
 昔は身分・家柄が定まっていて、大名の子はばかでも大名。したがって、自己を誇るのと家柄を誇るのとは同じ事で、家の系図が尊重され、封建社会の秩序が乱れるとにせ系図や系図の売買も行われた。その中で、商人だけは氏・素性にかかわりなく自分の才能・手腕のみによって財産を作り、高い社会的地位を占めることができた。近世封建社会の一面をあざやかに言い尽くしたことわざである。「こじきに氏なし」というのも類想。

現代は身分・家柄なんて全く関係ない世の中ですね。系図なんて何それ?って感じ。
ネットビジネスや株で瞬間にセレブになる時代!?
すごいなと思うけど、やはり私には遠い世界。
氏、素性なんて、もちろん意味ないけれど、ただただ実力主義っていうのもどうかと。
posted by suzuka at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

秋の鹿は笛に寄る

秋の鹿は笛に寄る 

秋の鹿は、笛を吹くとその音色に(ひかれて)寄ってくる。
 秋は鹿の交尾期で、妻を求めて雄ジカが鳴くさまは古歌に多く詠まれている。
「このごろの秋の朝明に霧隠り(=明け方、霧に隠れて)妻呼ぶ鹿の声のさやけさ」〔万葉集 2141〕そこで、その鳴き声に似せた笛を吹くと、鹿がだまされてよってきてつかまえられることから、恋に身を滅ぼすことのたとえにいう。『徒然草』に「されば、女の髪筋をよれる綱には大象もよくつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には秋の鹿かならず寄るとぞ言い伝え侍る」〔九段〕とあるのもこのことがもとになっている。

秋の日は釣瓶落とし

 秋の(入り)日はつるべを(井戸の中へ)落とすよう(に速く沈む)。
 「釣瓶」は、ポンプを使用する以前に井戸水をくみ上げるため、綱・さおの先につけて用いたおけ。水がいっぱいのつるべを引き上げる時間と労苦に比べ、からのつるべを井戸の中へ放り込むとまばたきをする間に水面に落ちてしまう。「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」というように、秋の日は暮れないようでいて、暮れやすい。まだ、日暮れには間があると思って畑仕事などをしていると、あっと思う間にたそがれてしまう。その感じをたとえたもので、「秋の日は鉈落とし」ということわざもある。
【用例】
ああ、秋の日は釣瓶落としとはいふものの、もうお日様も下らっしゃるに、娘はなにをぐづぐづして居やる。〔歌舞伎 岸姫松轡鏡〕

季節外れなので、さっさと行きましょう。
しかし、世の男性の皆さん、季節に関係なく、身を滅ぼすことのないよう、笛にだまされないように!
posted by suzuka at 09:32| Comment(0) | TrackBack(1) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

秋なすび嫁に食わすな

秋なすび嫁に食わすな
 秋にとれるナスはとてもおいしくてもったいないから嫁になど食わせるな。
 ナスは夏にとれるものよりも、秋になってからのものの方が身もしまり、ぬかみそにつけても美味だし、秋の終わりにこれ以上大きくなれない小粒のものを、からしづけにしたりして珍重する。だからつい近ごろまで一家中でもっとも身分が低いとされていた嫁などに食わせるなと、嫁を目のかたきにしがちな姑の気持ちを言ったことば。民主主義の今では、たんに秋茄子のおいしさを強調する意味で用いる。
【秋鯖嫁に食わすな 五月わらびは嫁に食わすな】

なんてひどい言葉。でも、いまではその上下関係は逆転しているかも。

秋の扇
秋がきて用いられなくなった扇。
涼しい秋がくれば、扇はかたづけられ、顧みられなくなる。それから、愛されなくなった女性にたとえる。
前漢の成帝に愛された班捷じょが帝に愛されなくなったときにわが身を秋の扇にたとえた〔文選 班捷じょ 怨歌行〕のに始まる。「班女が扇」ともいう。
【出典】
妾身以秋扇。〔劉孝綽 班捷じょ怨〕(わたしの身は秋の扇のようだ)
【類】
秋田の落とし水
【用例】
『身のまわりの世話をしてもらうのにあなただけはなくてはならない人なのよ。若奥さんというものができて、いらないものになったのはわたしじゃないの。秋の扇なのよ、班女が閨の恨みごと……』由美は含み声で常磐津の節を一くさり口ずさんで、ほほほほと笑った。〔円地文子 女坂〕

(班捷じょの「じょ」は女へんに予と書くのですが、何度やっても文字化けしてしまいます??)
豪雪の被害が心配される今年の冬ですが、「あき」の寂しさ悲しさがいっそう身に沁みます。いやいやもう、それどころではないですね。感傷に浸る余裕なんてありません。
遠くはない春を信じて、乗り切って生き抜きましょう!
posted by suzuka at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

空樽は音が高い

空樽は音が高い
 中身のないからっぽのたるはたたけば高い音を立てる。
 音が高いこと自体は決して悪くない。中味がないことの代償として音が高いので、その点が問題なのである。人間でも、声を大にして物を言う人、好んで話したがる人の中には、その声の高さのわりに、内容の空虚な人、浅薄な考えの人が多いものである。

具体的には、いくつかの同種のコップに水の量を変えて入れ、叩くと音階ができ、楽器のように音楽を奏でることができますね。この現象は質量の違いに基ずくもので、1761年にオーストリアのアウエンブルッガーが発表した医学史上画期的な打診法も、この空き樽の音と同じ原理なのでしょう。
このことわざ、声ばかり高く大きなくせに、中味は空っぽということに使うようですが、耳の痛い人はいませんか?

商いは牛のよだれ
 商売はウシのよだれのようでなければいけない。
 ウシの口からはたえず細いよだれがたれている。商売も、一時に大もうけしようとすると失敗する。ウシのよだれのように、細かい、わずかな利益をたえず積み重ね、気長に財産を作るべきだとの教え。

これは何とも汚らしいことわざですが、とても含蓄のあることわざですねえ。
継続は力なり、塵も積もれば山となる。
一攫千金ばかり狙わずに、牛のよだれのように、たらーと細く長く粘っこく努力を重ねれば、いつか花咲くときが来るでしょう!!
posted by suzuka at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

人生の節目について

 今日は成人の日でした。新成人の皆様、おめでとうございます。
【弱冠】『礼記 曲礼上』から、古代中国では男子20歳を「弱」といい、元服して冠をかぶったことから、20歳を弱冠(成人に達すること)といいます。
『論語・為政篇』では
30歳……而立(じりつ)
40歳……不惑(ふわく)
50歳……知命(ちめい)=天命を知ること
60歳……耳順(じじゅん)=修養ますます進み、聞く所、理にかなえばなんらの障害なく理解しうる意。
日本でも中国にならって、長寿を祝うしきたりがあり、数え年で祝います。数えの61歳を還暦といい、十干十二支が一巡して、自分の生れた干支に還るという意味で本卦帰りともいいます。あとは、下記のとおり。
70歳……古稀(こき)=杜甫の詩の「人生七十古来稀なり」より。
77歳……喜寿(きじゅ)=「喜」の字はくずして書くと「七が三つ 」となるところから。
80歳……傘寿(さんじゅ)=「米」という字は、八十八と書く。
90歳……卒寿(そつじゅ)=「卒」の略字は「卆」と書き、九と十になる。
99歳……白寿(はくじゅ)=これは引き算。「百」の字から「一」を引く。
さて、而立、不惑、そして天命を知り、耳順の域に達し、あとはただ、めでたいばかりの余生を送ることができるか。人生これからの皆さん、頑張って!
posted by suzuka at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

垢も身のうち

垢も身のうち
 あかもからだの一部分である。
 「腹も身のうち」をもじったもの。
【出典】
おやおや、お泥さん。おめえまだへえって居るかなあ。あきれが湯気に上がらあ(=まったくあきれたもんだ)。こう、いい加減にみがきな(=みがくのもいい加減にしておけ)。あかも身のうちだよ。あしたの分ものけときねえな(=とっておおきよ)。『式亭三馬 浮世風呂』

秋風がたつ 秋風が吹き始める。
 古歌では「飽く」の連用形やそれからできた名詞の発音が「秋」と同じところから、よくこの二つを掛けことばに使った。たとえば、「わが袖にまだき(=早くも)時雨の降りぬるは(=涙が落ちたことのたとえ)君が心にあきや来ぬらむ(=来たのだろうか)」〔古今集 巻十五〕という歌がある。「秋風がたつ」とは「秋になり始めた」すなわち、「いやになり始めた」という意味で、また単に「秋風が吹く」ともいう。愛し合っていた同士の一方が心変わりして相手をきらうようになったとき、きらわれた側の立場から使う。

季節外れではありますが、あ行から順にと思っているので仕方ありません。しかし、季節に関係なく、別れはやってきます。「会うは別れの始め」なのです。この世に永遠なんてありません。永遠の愛を誓うなんて絵空事。と、思ったほうがいいのかも。
愛する人の心に「秋風がたつ」ことのないように、常に自分を磨くことが必要でしょうか。
posted by suzuka at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

赤い着物を着る

赤い着物を着る
 赤い色の着物を着る
 刑を受けて牢に入れられた者が牢獄から逃げ出しても、すぐつかまるように、身なりなどはとくに変わった人目につくものにするのが例であるが、明治この方、監獄・刑務所に入れられた重罪犯の獄衣が赤っぽい色であったことから、体罰を受けて刑務所にはいることをこういった。
【用例】
 子どもの折から手癖が悪く、十五の年に懲役に行ってからなお悪くなり、いろいろ意見も加えたが、糠に釘で少しもきかず、ふたたび赤い仕着せを着たが、それから国にも居られなく、上州辺から東京へ行ったといううわさを聞いたが、それぎり便りもないことゆゑ、大方終身懲役になったことと思って居たが、思ひがけない今日の出合い。『歌舞伎 島鵆月白浪』

赤子の手をひねる
 あかんぼうの手をねじる。
 かよわいあかんぼうは、どんな危害を加えても少しも抵抗しないことから、非常にたやすいことのたとえにいう。

赤子を裸にしたよう
 あかんぼうの着物をぬがせて裸にしたよう。
 かよわい者からいっさいの抵抗力をうばったような、まったく無力でたよりないありさまの形容。

昨年暮れ、痛ましい乳児遺体遺棄事件がありました。

和歌山・乳児3遺体遺棄:殺人容疑で母親逮捕 「自分が産んだ」
 和歌山市砂山南のマンション空き室から乳児の3遺体が見つかった事件で、和歌山県警和歌山西署は17日、3遺体のうち1遺体の乳児を殺害したとして、以前、この空き室に住んでいた住所不定、無職、山本利美容疑者(49)を殺人容疑で逮捕した。
 調べでは、山本容疑者は00年8月ごろ、当時住んでいた同市金龍寺丁のアパートで、出産直後の乳児の顔に布団を押し当て、窒息させて殺害した疑い。この乳児以外の2遺体の出生時期などは不明。山本容疑者は、約4年前に金龍寺丁から約500メートル離れた砂山南のマンションに引っ越したが、遺体は引っ越し荷物として一緒にマンションに運び込んだらしい。
 遺体が見つかったマンションには2〜3カ月前まで山本容疑者の家族が住んでいた。家族は夫(40)、小学生の男児の3人だが、夫は先月25日に交通事故で死亡していた。男児は親せきの家に預けられているという。
 16日夜、大阪府内の宿泊施設にいたところを捜査員が発見。殺害を認めたため逮捕した。(2005年12月17日)

和歌山・乳児3遺体遺棄:4遺体目を発見 母親、殺害認める
 和歌山市のマンション空き室から乳児の3遺体が見つかった事件で、和歌山西署は19日、山本利美容疑者(49)が以前住んでいた大阪府南部の民家を捜索、乳児の1遺体を新たに発見した。うち1人の殺人容疑で逮捕された山本容疑者が調べに対し、「他にも遺体がある」と供述していた。山本容疑者はマンションで見つかった3遺体の殺害を認める供述を始めた。
 新たに見つかった遺体は、山本容疑者が00年8月に殺害して遺棄した乳児より前に出産したらしい。死体遺棄罪の時効は3年で、同署は山本容疑者に出産や遺棄の経緯などを聴いている。
 調べでは、新たに見つかった遺体は、白骨化し、性別などは不明。押し入れの中に置いたプラスチック製の衣装ケースの中に布で巻いて隠していた。(2005年12月20日)

「赤子〜」よう……ではなく、まさしく抵抗力のない赤子をいとも簡単に殺してしまう、非道な母親がよくもいたものです。全くどういう神経をしているのやら。人間じゃない!と言いたい。自分が産んだからどのようにしても良い自分のものですか? 命を何だと思っているのでしょう!!こんな人は刑務所に入って「赤い着物を着れば」いいのさ!

何と死体遺棄罪の時効は3年ですと? 何ですと?
私はこの時効というものが理解できません。事を隠し逃げ回り、逃げおおせたら、罪は消えるのですか?
その間、本当に悩み苦しみ悔い改めて、何か罪滅ぼしになるようないい事をしたのですか?
一生かけてもこれほどの罪を償うことはできないでしょうに。

正月早々、興奮してしまいました。命の大切さを認識し、弱い者への思いやりを持ってほしいものです。
posted by suzuka at 10:25| Comment(0) | TrackBack(1) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

青菜に塩

青菜に塩
 新鮮な菜の葉に塩をふりかけたようだ。
 つけ物をつくるときは塩を加えると、浸透圧のため野菜の細胞の中の水分が外に出て細胞膜が縮まり、野菜はしおれてしなやかになる。そのことから、元気のあった者が急に元気を失ってしょんぼりしたさまにいう。
【用例】
 かれらの監督権は日本海軍からアメリカ占領軍に移り、ジープに乗ったGIが足刈へやって来たから、部落の人びとは、ドイツ兵も青菜に塩だろうと思ったら大まちがいだった。ドイツ兵は、てんでアメリカ兵を恐れないのである。『獅子文六 箱根山』

青は藍より出でて藍より青し
 青色はアイ草の葉から出ながら、アイ草の葉よりも青い。
 昔、青色(=わが国では紺色といった)の染料はアイ草の葉から取り、その染料で染めたものはもとの葉より青かった。それから、弟子が先生よりもすぐれているのに例える。「藍より出でて藍より青し」「紺は藍より出でて藍より濃し」「出藍の誉れ」ともいう。
【出典】
君子曰、「学不可以己。青取之於藍、而青於藍。」
立派な人が言われた。「学問というものはやめてはいけない。青色はアイ草の葉から取りながら、アイ草の葉よりも青いのだから。」
【類】氷は水より出でて水より寒し
【用例】
ただし連歌の様は、師説を受けたれども、すべて時に従ひて風の移り変れば、あらぬ物になり行き侍るなり。救済も善阿が弟子と承りつれども、その姿、はたとあらぬ物にてぞ侍る。「藍より出でて藍より青く、水より出でて水より寒しといふ事のあれば、末の世にもいかにかなり行き侍らんずらん」「恐るべきは後世なり」と申すことの侍るにや。『二条良基 筑波問答』

「藍より出でて藍より青し」は知っていましたが、その続きがあることは知りませんでした。「水より出でて水より寒し」……なるほどー。「学問というものはやめてはいけない。」なるほどー。生涯、学習ですね。
posted by suzuka at 10:12| Comment(0) | TrackBack(2) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月03日

新年、あけましておめでとうございます。m(__)m 。

皆様、いいお正月をお迎えですか? ことし一年、いいことがありますように。災害のない、争いのない、平和な一年でありますように。
あ行から進めておりますことわざマラソン、張り切って再スタートです!

会うは別れの始め
 人に会うことはその人に別れることの始まりである。
 「生者必滅、会者定離」と仏教でいうように、人生は無常であるから、人に会う喜びを永久に持ち続けることはできず、やがてはその人と離れなければならないことを教えている。「会うは別れの始め」ともいう。
【用例】
気強く言ってはやるものの、産子で別れて今日の今、会うは別れの始まりと、また別るるも約束か。これ今生の誠の別れ。『歌舞伎 岸姫松轡鏡』

あらあら、正月早々、ちょっと悲しいことわざでしたね。ごめんなさい。(~_~;)

仰いで天に愧じず
 空を仰ぎみても天の神に対して恥じない。
 悪いことを少しもしていないので、空にいる天の神に対してなにも恥ずかしく思うことがないこと。自分の身の潔白を表わすことば。「俯仰天地に愧じず」ともいう。
【出典】
孟子曰、「仰不愧於天、俯不怍於人」『孟子 盡心篇上』
「上の方を見ても天の神に恥じず、下の方を見ても人びとに恥じない」

こちらは正月に相応しいでしょう。今年一年、この心意気でいきたいものです!

ここで故事成語について

 過去の歴史的な事件や習慣、神話や文学などから生まれた言葉は、どの民族の言語にも数多く存在している。これが故事成語である。
 四千年の歴史を持つ中国は、故事成語の宝庫といえる。『史記』を書いた前漢の司馬遷、宋代の『十八史略』は多くの人に読まれた歴史物語である。これらにある数々のエピソードが、言葉と結びついて多くの故事成語をつくった。
 また、春秋時代から漢代の初期にかけて、孔子、老子、韓非子などいわゆる諸子百家といわれる優れた思想家が輩出し、様々な教えを説いた。これら古人の言葉に由来する故事成語も多い。
 故事成語のおもしろさは、こうした歴史の背景を知るばかりではなく、そこに人生の機微に触れ、処世を教える内容が含まれていることだ。過去の教訓から現代に生きる知恵を学ぶことができる。

 中国最古の古典「五経」
@『詩経』― 中国の歴史は古く紀元前約千年の周代ごろに始まっている。周は祭礼・儀式を重んじたが、このころ祭礼で歌われた歌。
A『書経』語り継がれた祖先の教訓。
B『易経』春秋時代になって、周代の占いについて書いたもの。
C『礼記』前漢の頃に伝統的な礼儀・習慣について書いたもの。
D『春秋』中国の魯の国史に孔子が筆を加えたもの。

 儒教の基本テキスト「四書」
@『論語』は孔子の教えをまとめたもので、儒教の根本をなす本である。
A『大学』政治道徳を主とした道徳の理論を書いたもの。
B『中庸』中庸を主とした個人道徳を書いたもの。
C『孟子』孟子がのこした書物。

虚心坦懐、先人の知恵に学んで、今年もいい年にしたいものですね。(*^_^*)
posted by suzuka at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。