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2006年03月23日

明日知らぬ世

明日知らぬ世
 どんな近い未来のことでも人間には予測できないこと。人生は不安であることを表わしている。

明日の事は明日案じよ
 あしたの事は(きょうくよくよせず)あしたに(なってから)心配しろ。
将来の心配事についてはそのときになって心配すればいいので、今からくよくよせず、現在は現在を十分楽しむのが賢明な生き方だという教訓。

明日の百より今日の五十
 あした(手に入れるはず)の百文の銭より、きょう(手に持っている現実)の五十文の銭(の方がありがたい)。
 予約された幸運よりも、どんな小さくてもよいから今の幸いの方が望ましいということを表わした現実主義のことわざ。
【類】
 ○末の百両より今の五十両
 ○聞いた百文より見た一文
 ○先の雁より手前の雀

明日は明日の風が吹く
 「明日のことは明日案じよ」と同じ考え方。
【類】
 ○明日は明日の神が守る
 ○明日は明日今日は今日

明日は来たらず
 Tomorrow never comes.
 あしたあしたと待っていてはだめ、あしたを頼むなかれの意。
【類】
 ○Tomorrow come never.(永久に来ぬ明日。)
 ○Tomorrow will be another day.(あすは別の日である。)
 ○No one has ever seen tomorrow.(だれも明日を見た者はない。)

以上、明日シリーズでした。
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2006年03月20日

飛鳥川の淵瀬

飛鳥川の淵瀬
 飛鳥川の深いところと浅いところ
 「飛鳥川」は奈良県の飛鳥地方を流れる川で、末は大和川となって大阪湾に注ぐ。
昔この川の河床の変遷ははなはだしかったものと見え、物事が常住不変でなく、たえず変化し、浮き沈みのあることのたとうによく使われた。
【出典】
 世の中は何か常なる飛鳥川 きのうの淵ぞけふは瀬になる
(世の中はすべて無常である。きのうの水の深かったところが今日は浅瀬になっている。) 〔古今集 巻十八〕
【類】
 滄海変じて桑田となる=滄桑の変
 (青海がクワ畑に変わる変化。 海だったところが陸になってクワ畑に、クワ畑だったところが海になるという大きな変化のことから、また、世の中の移り変わりのはげしいことにいう。)

昔から世の中は無常だったのですね。でもその速度は比べ物にならないくらい、現代は激しいのかもしれません。
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2006年03月16日

足を洗う

足を洗う
 汚れた足の汚れを綺麗に洗う。
 ある職業などをきっぱりやめて、新しい生活にはいることのたとえ。
本来は、たとえばやくざの社会から抜け出すというように、一般に正業とは考えられていなかった仕事をやめて、堅気の暮らしをすることにいうが、現在では広く用いる。

明日ありと思う心の仇桜
 あしたがあると思う心は(今咲いていてもあしたは散ってしまう)はかないサクラのようなものである。
 親鸞の歌だと伝える歌の上の句で、下の句は「夜半に嵐の吹かぬものかは(夜中ニアラシガ吹カナイコトガアロウカ)」である。
 未来をあてにしていても、人の世は無常で今夜にも息が絶え、期待はむなしく理想は実現できないで終わってしまわないとは限らない。
世の中のはかなさを教えて仏教への帰依をすすめる歌である。

桜は日本人の心に深く影響を与える一番の花じゃないかと思いますが、仇桜、姥桜などと使われるのはかわいそうですよね。
美しく咲き誇って、潔く散っていく、そんな桜はすばらしい。桜の開花予想がちらほら聞かれます。
posted by suzuka at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

足元から鳥がたつ

足元から鳥がたつ
 足元から鳥が飛び立つ
 人が近づくと鳥獣は逃げてしまうので、もう傍には何もないと思っていると、思いがけず自分の足元の草むらから鳥が飛びたったという情景。
意外なことが急に身近でもちあがることの例えに使う。

足元に火がつく
 足元に火が(燃え)つく。
 危急の出来事が起こったとき、それを人事として傍観していたところ、思いがけずその災いが自分の身に及ぶことの形容。
「足元から火がつく」ともいう。

足元の明るいうち
 (日が暮れて)足元が(暗くならず、まだ)明るい間。
 もとは、日が暮れて道などが分からなくならないうち、という意味で、道のりを急ぐときに使うことばであるが、それから平穏安全で危難が身に及ばない間に急いで物事をする意に使うようになった。

足元を見てつけ上がる
 (人の)足元(のようす)を見て、つけ上がる。
 「足元を見る」とは相手に弱点のあることを見抜くたとえで、その弱みによって強く出てこられないのを知ってそれにつけ込み、増長するということ。

以上、足元シリーズでした。
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2006年03月08日

朝に道を聞けば夕に死すとも可なり

朝に道を聞けば夕に死すとも可なり
 朝、人間の道を聞い(て、それで、本当に人間になれ)たら、夕方には死んでもよい。
 本当の人間の道というものはだれでも知っているわけではないから、たやすくは聞かれない。
それが聞けて本当の人間になれたら死んでもよい。
人間の道が人間にとっていかに尊いものであるかを表わした孔子のことばである。
【出典】
子曰、「朝聞道、夕死可矣」〔論語 里仁篇〕

足速き者競争に勝つにあらず、また強き者戦いに勝つにあらず
 The race is not to the swift, nor the battle to the strong.
 ウサギとカメの競争にもカメが勝つし、戦いにおいても、時の運があり、強い軍が勝つとは限らぬ。
【出典】
『旧約聖書』伝道の書第九章11節に
 I returned, and saw under the sun, that the race is not to the swift, nor the battle to the strong, ……
(わたしはまた世の中を見てさとったのだが、かならずしも速い者が競争に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。……)とある。

能力のある者、強い者がかならず成功するとは限らないということでしょう。
最後に勝つのは、人として、たゆまぬ努力をする者と信じたい!
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2006年03月06日

足が地につかない

足が地につかない
足が棒になる

この二つはあまりに簡単なので飛ばします。

朝(あした)に紅顔あって夕(ゆうべ)に白骨となる
 朝、血色のいい元気で若々しい顔をしていた者が、(急死して火葬にされ)夕方には白骨になる。
 人生の無常を述べたことば。浄土真宗で葬式のときに読む蓮如上人の『御文章』の一つ(=「白骨の御文」という)の文句としてよく知られているが、もとは藤原義孝の詩の一句。
義孝は信心深い風流の才士であったが、この句のように若くして疱瘡で死んだ。

【出典】
朝有紅顔誇世路、暮為白骨朽郊原。〔和漢朗詠集 藤原義孝〕
(朝、若く元気で世の中でわがもの顔にふるまっているが、夕方には死んで死体は野原で朽ちて白骨となってしまう。)

されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり〔御文章 五ノ十六〕
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2006年03月02日

朝焼けは雨夕焼けは晴れ

朝焼けは雨夕焼けは晴れ
 朝、空が赤くやけるのは雨の前ぶれで、夕方、空がやけるのは晴れになる前兆である。
 
 空中の湿度が高まると、短い波長の光が空気中の水滴などに吸収されて、波長の長い赤い光線だけが見られる。
だから朝焼けは、湿度が高くなってきた証拠で、こんなときは低気圧が近づいてきており、やがて天気が悪くなる。
また、太陽が地平線に近づくと、日光が空気の層を通る距離が長くなるので、空気の分子やちりなどのために光が散乱し、赤に近い長い波長の光だけが見えるようになる。
空に雲がなく、空気中の水蒸気が少なくて澄んでいるときは、それだけ長い距離を光が通過してくるので、よけい赤く見える。
だから夕焼けは西が晴れている証拠で、天気は西から東へ移動することから、翌日は晴れという理屈になる。
世界各地で、いろいろな言い方でいわれていることわざである。

【朝虹は雨夕虹は晴れ】と同じく、科学的なことわざですね。昔の人の経験による知恵というものは素晴らしいものです。
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2006年02月27日

朝虹は雨夕虹は晴れ

朝虹は雨夕虹は晴れ
 朝出る虹は雨の前兆、夕方出る虹は晴れの前兆である。
 科学的に根拠のあることわざである。
日本では、天気は西から東へ変わる。
朝の虹は、西の方で雨が降り、日を東から受ける場合に見られ、夕方の虹は、西が晴れて東の方で雨が降っているときに見られることが多いから、やがてこのことわざの通りになるわけである。
「朝虹立ったら嫁迎え、夕虹立ったら娘迎えろ」というのは、これに肉親とそうでないものとに対する愛情の違いという人事を結びつけたもの。
【類】
○朝虹に川越すな(=雨が降り水かさが増すから)
○晩の虹は江戸へ行け朝の虹は隣へ行くな
○夕虹立てば(京都から)鎌倉へ(行くとしても)傘持つな

麻の中の蓬
 麻のなかにはえいてる蓬(はまっすぐだ)。
 ヨモギは枝が横にはって、上には伸びない草だが、まっすぐに伸びる性質のアサの中にはえればアサのようにまっすぐに育つ。
環境がよければ、ほっておいてもりっぱな人間になるのにたとえる。
「麻中の蓬」「麻につるる蓬」ともいう。
【出典】
「蓬生麻中、不扶而直。」〔荀子勧学篇〕
(ヨモギもアサの中にはえれば、助けなくてもまっすぐに育つ)

荒川静香さんが金メダルを獲得しました!!
これも幼い頃からのご両親のたっぷりの愛情と恵まれた環境のお陰なのでしょうか。
天才少女は美しく成長し、気品ある魅力にあふれた演技でしたね。
とても優雅で伸びやかな素晴らしい舞いを見せてもらいました。
心からありがとう!!
posted by suzuka at 15:16| Comment(0) | TrackBack(2) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

朝起き三文の徳

朝起き三文の徳
 早起きをして仕事に励むことは、たとえわずかでも利得になる。
 「徳」は「得」と同じで、利得・利益の意。
「朝起きは七つの徳あり」
「朝起きの家には福きたる」
「朝起き三両、始末(=倹約)五両」
など、早起きを美徳としたことわざは多いが、
西鶴の『日本永代蔵』に「長者丸といへる妙薬の方組(=財産家になる処方)伝へ申すべし。朝起き五両(「両」は薬の分量で4匁)・家職(家業に励むこと)二十両・夜詰(夜なべ仕事)八両・始末十両・達者七両」とあるように、
これは勤勉のひとつの条件で、朝早くおきて精を出して働くことを意味している。

「朝寝八石の損」は反対にあたる。

浅瀬にあだ波
 川の浅瀬に限ってよけいな波が立つ。
 水深の浅い「瀬」に対することばは「淵」で、ここは底が深く、水はよどんで流れ、水の流れが速くても水面は波だったりしない。ざあざあと音を立てて流れる場所はきまって水の浅いところである。そのように、人も、思慮の浅い軽薄な者に限ってやかましく騒ぎたてるものだという意味に使う。

【出典】
底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波は立て 〔古今集 巻十三〕
(=浅い瀬に限ってあだ波が立つ。そのように口に出さぬ恋心の方が深いものだ)

朝の早起きはここまで讃えられているのですね。
しかし、少々低血圧気味の私にはちょっと辛いかな……。
posted by suzuka at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

顎で人を使う

顎で人を使う
 (口や手でなく)あごを使って(それで)人を使う。
 自分はえらそうに構え、横柄な態度で人をこき使うさまのたとえ。ていねいに教えてやったり、さしずしたりなどをせず、「ほれ」とあごをしゃくって物を指し示したりするようすをとらえたもの。

朝雨に傘いらず
 朝雨(の日の外出)にかさ(の用心)はいらない。
 早朝まだ寝ている間にさーと雨の音がする。
起きて仕事に出ようとすると、雨はもうあがっているが空は暗い。かさを持って出かけなければならないものかどうか。
日本人の昔からの経験では、そうした場合じきに晴れてきて、雨の心配はいらないものだと教える。

「朝雨に傘いらず」は知りませんでしたねえ。
昔の人の知恵というものは馬鹿にできないものだと思います。
今は天気予報を絶対的に信じてしまって、人は感覚というものを鈍らしているのかもしれません。
posted by suzuka at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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