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2006年03月30日

あだし野の露鳥辺野の煙

あだし野の露鳥辺野の煙
 あだし野の(墓地におく)露と、鳥辺野の(火葬場に立ちのぼる)煙。
 「あだし野」は京都市嵯峨の奥にあって昔火葬場があった。
露も煙もはかなく消えることから人生の無常をたとえることば。鳥辺野の煙は火葬の煙のことであるから、あだし野の露はおもに土葬された場合について言って対比させたものと考えることもできる。
日本では火葬は西暦700年に始まったといわれている(=『続日本記』文武天皇四年の条)が、のち火葬・土葬は並んで行われた。

【用例】
 あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあわれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。〔徒然草 七段〕

あだ花に実は成らぬ
 雄花に実は成らない。
 「あだ花」とは実を結ばない花のことであるが、キュウリ・カボチャのように雄花・雌花の別がある場合、実のならない雄花のことをいうと見てもよい。
 見かけだけりっぱでも本当に値打ちのないものはりっぱな結果をあげることはできないことを教えたことわざ。

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2006年03月27日

東男に京女

東男に京女
 関東の男に京都の女。
 男は男らしく強く、女は女らしくやさしくを理想としての組み合わせ。
 しかし、このような取り合わせのことわざは非常に多く、「京男に伊勢女」「越前男に加賀女」「名古屋男に岐阜女郎(女)」「越後女に上州男」のように、比較的狭い範囲の地名を並べていうのが普通である。

汗とあぶらのかたまり
 (働いて流した)汗とあぶらのかたまり。
 心労と努力を重ねた結果出来上がった物事を形容することば。激しい労働に従事している人が汗みずくになり、あぶら汗を顔に浮かせている様をそのままに表現したものである。

遊びの最も面白き時、最も去るによし
 When the play is best it is best to leave.
 潮時がかんじんだということ。
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2006年03月23日

明日知らぬ世

明日知らぬ世
 どんな近い未来のことでも人間には予測できないこと。人生は不安であることを表わしている。

明日の事は明日案じよ
 あしたの事は(きょうくよくよせず)あしたに(なってから)心配しろ。
将来の心配事についてはそのときになって心配すればいいので、今からくよくよせず、現在は現在を十分楽しむのが賢明な生き方だという教訓。

明日の百より今日の五十
 あした(手に入れるはず)の百文の銭より、きょう(手に持っている現実)の五十文の銭(の方がありがたい)。
 予約された幸運よりも、どんな小さくてもよいから今の幸いの方が望ましいということを表わした現実主義のことわざ。
【類】
 ○末の百両より今の五十両
 ○聞いた百文より見た一文
 ○先の雁より手前の雀

明日は明日の風が吹く
 「明日のことは明日案じよ」と同じ考え方。
【類】
 ○明日は明日の神が守る
 ○明日は明日今日は今日

明日は来たらず
 Tomorrow never comes.
 あしたあしたと待っていてはだめ、あしたを頼むなかれの意。
【類】
 ○Tomorrow come never.(永久に来ぬ明日。)
 ○Tomorrow will be another day.(あすは別の日である。)
 ○No one has ever seen tomorrow.(だれも明日を見た者はない。)

以上、明日シリーズでした。
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2006年03月20日

飛鳥川の淵瀬

飛鳥川の淵瀬
 飛鳥川の深いところと浅いところ
 「飛鳥川」は奈良県の飛鳥地方を流れる川で、末は大和川となって大阪湾に注ぐ。
昔この川の河床の変遷ははなはだしかったものと見え、物事が常住不変でなく、たえず変化し、浮き沈みのあることのたとうによく使われた。
【出典】
 世の中は何か常なる飛鳥川 きのうの淵ぞけふは瀬になる
(世の中はすべて無常である。きのうの水の深かったところが今日は浅瀬になっている。) 〔古今集 巻十八〕
【類】
 滄海変じて桑田となる=滄桑の変
 (青海がクワ畑に変わる変化。 海だったところが陸になってクワ畑に、クワ畑だったところが海になるという大きな変化のことから、また、世の中の移り変わりのはげしいことにいう。)

昔から世の中は無常だったのですね。でもその速度は比べ物にならないくらい、現代は激しいのかもしれません。
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2006年03月16日

足を洗う

足を洗う
 汚れた足の汚れを綺麗に洗う。
 ある職業などをきっぱりやめて、新しい生活にはいることのたとえ。
本来は、たとえばやくざの社会から抜け出すというように、一般に正業とは考えられていなかった仕事をやめて、堅気の暮らしをすることにいうが、現在では広く用いる。

明日ありと思う心の仇桜
 あしたがあると思う心は(今咲いていてもあしたは散ってしまう)はかないサクラのようなものである。
 親鸞の歌だと伝える歌の上の句で、下の句は「夜半に嵐の吹かぬものかは(夜中ニアラシガ吹カナイコトガアロウカ)」である。
 未来をあてにしていても、人の世は無常で今夜にも息が絶え、期待はむなしく理想は実現できないで終わってしまわないとは限らない。
世の中のはかなさを教えて仏教への帰依をすすめる歌である。

桜は日本人の心に深く影響を与える一番の花じゃないかと思いますが、仇桜、姥桜などと使われるのはかわいそうですよね。
美しく咲き誇って、潔く散っていく、そんな桜はすばらしい。桜の開花予想がちらほら聞かれます。
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2006年03月13日

足元から鳥がたつ

足元から鳥がたつ
 足元から鳥が飛び立つ
 人が近づくと鳥獣は逃げてしまうので、もう傍には何もないと思っていると、思いがけず自分の足元の草むらから鳥が飛びたったという情景。
意外なことが急に身近でもちあがることの例えに使う。

足元に火がつく
 足元に火が(燃え)つく。
 危急の出来事が起こったとき、それを人事として傍観していたところ、思いがけずその災いが自分の身に及ぶことの形容。
「足元から火がつく」ともいう。

足元の明るいうち
 (日が暮れて)足元が(暗くならず、まだ)明るい間。
 もとは、日が暮れて道などが分からなくならないうち、という意味で、道のりを急ぐときに使うことばであるが、それから平穏安全で危難が身に及ばない間に急いで物事をする意に使うようになった。

足元を見てつけ上がる
 (人の)足元(のようす)を見て、つけ上がる。
 「足元を見る」とは相手に弱点のあることを見抜くたとえで、その弱みによって強く出てこられないのを知ってそれにつけ込み、増長するということ。

以上、足元シリーズでした。
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2006年03月08日

朝に道を聞けば夕に死すとも可なり

朝に道を聞けば夕に死すとも可なり
 朝、人間の道を聞い(て、それで、本当に人間になれ)たら、夕方には死んでもよい。
 本当の人間の道というものはだれでも知っているわけではないから、たやすくは聞かれない。
それが聞けて本当の人間になれたら死んでもよい。
人間の道が人間にとっていかに尊いものであるかを表わした孔子のことばである。
【出典】
子曰、「朝聞道、夕死可矣」〔論語 里仁篇〕

足速き者競争に勝つにあらず、また強き者戦いに勝つにあらず
 The race is not to the swift, nor the battle to the strong.
 ウサギとカメの競争にもカメが勝つし、戦いにおいても、時の運があり、強い軍が勝つとは限らぬ。
【出典】
『旧約聖書』伝道の書第九章11節に
 I returned, and saw under the sun, that the race is not to the swift, nor the battle to the strong, ……
(わたしはまた世の中を見てさとったのだが、かならずしも速い者が競争に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。……)とある。

能力のある者、強い者がかならず成功するとは限らないということでしょう。
最後に勝つのは、人として、たゆまぬ努力をする者と信じたい!
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2006年03月06日

足が地につかない

足が地につかない
足が棒になる

この二つはあまりに簡単なので飛ばします。

朝(あした)に紅顔あって夕(ゆうべ)に白骨となる
 朝、血色のいい元気で若々しい顔をしていた者が、(急死して火葬にされ)夕方には白骨になる。
 人生の無常を述べたことば。浄土真宗で葬式のときに読む蓮如上人の『御文章』の一つ(=「白骨の御文」という)の文句としてよく知られているが、もとは藤原義孝の詩の一句。
義孝は信心深い風流の才士であったが、この句のように若くして疱瘡で死んだ。

【出典】
朝有紅顔誇世路、暮為白骨朽郊原。〔和漢朗詠集 藤原義孝〕
(朝、若く元気で世の中でわがもの顔にふるまっているが、夕方には死んで死体は野原で朽ちて白骨となってしまう。)

されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり〔御文章 五ノ十六〕
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2006年03月02日

朝焼けは雨夕焼けは晴れ

朝焼けは雨夕焼けは晴れ
 朝、空が赤くやけるのは雨の前ぶれで、夕方、空がやけるのは晴れになる前兆である。
 
 空中の湿度が高まると、短い波長の光が空気中の水滴などに吸収されて、波長の長い赤い光線だけが見られる。
だから朝焼けは、湿度が高くなってきた証拠で、こんなときは低気圧が近づいてきており、やがて天気が悪くなる。
また、太陽が地平線に近づくと、日光が空気の層を通る距離が長くなるので、空気の分子やちりなどのために光が散乱し、赤に近い長い波長の光だけが見えるようになる。
空に雲がなく、空気中の水蒸気が少なくて澄んでいるときは、それだけ長い距離を光が通過してくるので、よけい赤く見える。
だから夕焼けは西が晴れている証拠で、天気は西から東へ移動することから、翌日は晴れという理屈になる。
世界各地で、いろいろな言い方でいわれていることわざである。

【朝虹は雨夕虹は晴れ】と同じく、科学的なことわざですね。昔の人の経験による知恵というものは素晴らしいものです。
posted by suzuka at 14:00| Comment(1) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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