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2006年02月27日

朝虹は雨夕虹は晴れ

朝虹は雨夕虹は晴れ
 朝出る虹は雨の前兆、夕方出る虹は晴れの前兆である。
 科学的に根拠のあることわざである。
日本では、天気は西から東へ変わる。
朝の虹は、西の方で雨が降り、日を東から受ける場合に見られ、夕方の虹は、西が晴れて東の方で雨が降っているときに見られることが多いから、やがてこのことわざの通りになるわけである。
「朝虹立ったら嫁迎え、夕虹立ったら娘迎えろ」というのは、これに肉親とそうでないものとに対する愛情の違いという人事を結びつけたもの。
【類】
○朝虹に川越すな(=雨が降り水かさが増すから)
○晩の虹は江戸へ行け朝の虹は隣へ行くな
○夕虹立てば(京都から)鎌倉へ(行くとしても)傘持つな

麻の中の蓬
 麻のなかにはえいてる蓬(はまっすぐだ)。
 ヨモギは枝が横にはって、上には伸びない草だが、まっすぐに伸びる性質のアサの中にはえればアサのようにまっすぐに育つ。
環境がよければ、ほっておいてもりっぱな人間になるのにたとえる。
「麻中の蓬」「麻につるる蓬」ともいう。
【出典】
「蓬生麻中、不扶而直。」〔荀子勧学篇〕
(ヨモギもアサの中にはえれば、助けなくてもまっすぐに育つ)

荒川静香さんが金メダルを獲得しました!!
これも幼い頃からのご両親のたっぷりの愛情と恵まれた環境のお陰なのでしょうか。
天才少女は美しく成長し、気品ある魅力にあふれた演技でしたね。
とても優雅で伸びやかな素晴らしい舞いを見せてもらいました。
心からありがとう!!
posted by suzuka at 15:16| Comment(0) | TrackBack(2) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

朝起き三文の徳

朝起き三文の徳
 早起きをして仕事に励むことは、たとえわずかでも利得になる。
 「徳」は「得」と同じで、利得・利益の意。
「朝起きは七つの徳あり」
「朝起きの家には福きたる」
「朝起き三両、始末(=倹約)五両」
など、早起きを美徳としたことわざは多いが、
西鶴の『日本永代蔵』に「長者丸といへる妙薬の方組(=財産家になる処方)伝へ申すべし。朝起き五両(「両」は薬の分量で4匁)・家職(家業に励むこと)二十両・夜詰(夜なべ仕事)八両・始末十両・達者七両」とあるように、
これは勤勉のひとつの条件で、朝早くおきて精を出して働くことを意味している。

「朝寝八石の損」は反対にあたる。

浅瀬にあだ波
 川の浅瀬に限ってよけいな波が立つ。
 水深の浅い「瀬」に対することばは「淵」で、ここは底が深く、水はよどんで流れ、水の流れが速くても水面は波だったりしない。ざあざあと音を立てて流れる場所はきまって水の浅いところである。そのように、人も、思慮の浅い軽薄な者に限ってやかましく騒ぎたてるものだという意味に使う。

【出典】
底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波は立て 〔古今集 巻十三〕
(=浅い瀬に限ってあだ波が立つ。そのように口に出さぬ恋心の方が深いものだ)

朝の早起きはここまで讃えられているのですね。
しかし、少々低血圧気味の私にはちょっと辛いかな……。
posted by suzuka at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

顎で人を使う

顎で人を使う
 (口や手でなく)あごを使って(それで)人を使う。
 自分はえらそうに構え、横柄な態度で人をこき使うさまのたとえ。ていねいに教えてやったり、さしずしたりなどをせず、「ほれ」とあごをしゃくって物を指し示したりするようすをとらえたもの。

朝雨に傘いらず
 朝雨(の日の外出)にかさ(の用心)はいらない。
 早朝まだ寝ている間にさーと雨の音がする。
起きて仕事に出ようとすると、雨はもうあがっているが空は暗い。かさを持って出かけなければならないものかどうか。
日本人の昔からの経験では、そうした場合じきに晴れてきて、雨の心配はいらないものだと教える。

「朝雨に傘いらず」は知りませんでしたねえ。
昔の人の知恵というものは馬鹿にできないものだと思います。
今は天気予報を絶対的に信じてしまって、人は感覚というものを鈍らしているのかもしれません。
posted by suzuka at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

阿漕が浦に引く網

阿漕が浦に引く網
 阿漕が浦(の海岸)で(魚を取ろうとして)引く網。

 「阿漕が浦」は伊勢の国阿濃群の地名。ここは昔、伊勢神宮へ供える魚を取るために網を引いたところで、一般の者には禁漁地であった。それをある漁夫が毎夜こっそり網を引いた。しばらくは知られなかったが、たび重なったので見つかり、罰として海に沈められたという伝説があり、謡曲『阿漕』はそれを脚色したものである。

 古歌に
「伊勢の海阿漕が浦に引く網もたび重なれば人もこそ知れ」
というのがあってしばしば引用されている。

 『古今六帖』には
「あふことを阿漕の島に引く網のたび重ならば人も知りなむ」
という歌がのっているから、かなり古くからの言い伝えである。
 これらの古歌でわかるように、人に隠していることも、回数が多くなると人に知られる意に使う。
 さらに「あこぎ」という語は欲張りで飽くことを知らない、または無慈悲だの意にも使われるようになった。

これぞ「あこぎ」の語源だったのですね。最近、随分多くの「あこぎ」な人たちが「あこぎ」なことをやっています!!
posted by suzuka at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月13日

阿衡の佐

阿衡の佐
 「阿衡(あこう)」は殷(いん)の湯王に仕えた伊いんがなった官の名。「阿」は頼ること。「衡」は平らなこと。王が頼りにし、公平をみる者という意味である。「阿衡」といえば伊いんのことをいい、また、伊いんが賢臣だったので、賢臣のこともいう。
賢臣の援助のこと。

 日本では、宇多天皇が藤原基経に「阿衡」の任を与えたとき、これは名だけで職掌がないことから執政の仕事をやめさせられるのだとして基経が怒ってサボタージュした事件で有名。


伊いんの「いん」は伊の人偏がない字なのですが、残念なことに入力できないのですね。
手書きツールでWordではできるのですが、このblogでは、文字化けしてしまうのです。
【出典】も書こうとしたのですが、中国の出典なので難しい字が含まれていて、止めました。
うまくいかないものです。
posted by suzuka at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

開けて悔しき玉手箱

開けて悔しき玉手箱
 あけて(みてあとで)悔しい(と後悔する)
 おなじみ浦島太郎の故事。
期待していたものが、いざその場になって結果を見るとまったく予期に反した意外なものであることが分かって残念だというときに用いる。
 浦島の話は古い文献では『日本書紀(雄略記)』『丹後風土記逸文』に、また上に述べた型の話としては『万葉集(1940)』に見えるものが一番古い。

朱を奪う紫
 赤色にとって代わる紫色。
 「朱」は赤色。中国古代では青・赤・黄・白・黒の五色が正しい色とされ、これが着物その他に用いられた。
ところが、深みと重みのある紫色がだんだんと人々の間に愛用されるようになって、赤色が用いられなくなった。孔子などは「紫の朱を奪うのを悪(にく)む」と言って、その傾向を苦々しく見ていた。これから、不正が栄え、悪人のはびこるのにたとえる。

孔子って本当に潔癖症なのですね。何も色のことぐらいで悪(にく)まなくっても……。
posted by suzuka at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

挙句の果て

挙句の果て
 (俳諧や連歌の)挙句の(そのまた)最後。
 「挙句」は連歌・俳諧で発句に対応する最後の句をいい、歌仙という形式なら、五七五の発句に始まり七七の脇句と続き、以後交互に五七五、七七とくりかえした三十六句目、最後の七七の句をいう。
最後のそのまた最後ということで、気分的にどたん場、つまりもうこれ以上どうしようもなくなった最終的な結末を、多少悲観的な気持ちをこめてこういう。

同義語で「とどのつまり」があります。ついでにその意味をここに書いておきましょう。

とどのつまり
 トドという(魚の)おしまい。
 ボラという魚は幼魚のときから成長に従ってオボコ・クチメ・スバシリ・イナ・ボラなどと呼ばれる。そのためめでたい出世魚ともされているが、最後がトドであることから、物事の究極の意で「結局は、つまるところは」という意味によく使われる。

せっかくの出世魚なのに、とどのつまりに使われるとは可愛そうな魚ですよね。
posted by suzuka at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月04日

悪魔の話をすれば悪魔がきっと現れる

悪魔の話をすれば悪魔がきっと現れる
 Talk (speak) of the devil, ahd he is sure to appear.
 「噂をすれば影がさす」にあたる。
【類】
○Talk of the devil, and he's presently at your elbow.(悪魔のうわさをすればやがてあなたのすぐそばにやってくる。)
○Talk of the devil and he'll appear.(悪魔の話をすれば悪魔は現れるだろう。)
○Talk of the absent and he will appear.―アラビア(いない者のうわさをすると現れる。)
○When the wolf comes into your mind prepare a stick for him.―アラビア(おおかみのことが頭に浮かんだら棒を用意せよ)
○When you mention the wolf,then he comes.―ドイツ(おおかみの話をすると、そのときおおかみは現れる。)
○Speak of angels, and you will hear their wings.(天使のうわさをせよ、そうすればきみは天使たちの羽ばたきを耳にするであろう。)

ふたつの意味があるように思いますね。
ひとつはうわさをすれば影。
もうひとつはいいことを思ったり言ったりすればいいことがあり、悪いことを思ったり言ったりすれば悪いことが起こるというような。
悪魔やおおかみはお呼びではないので、天使のうわさを思いっきりしましょうか♪
posted by suzuka at 11:00| Comment(0) | TrackBack(1) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

悪木盗泉

悪木盗泉
 使い道のない木と、「盗人の泉」といわれる泉。
 曲がりくねっていて使い道のない木でもその陰は涼しい。けれども、昔の潔癖な人々はそうした陰で休んだり、そうした泉で水を飲むと身がけがれると言ってしなかった。
「盗泉」は中国の山東省泗水県の東北にある泉。孔子はそこを通ったときに口がかわいていたが、名前が悪いと言って飲まなかった。
【出典】
悪木之陰不可暫息、盗泉之水無容(アヤマリテモ)飲。〔周書 コウシュン伝〕
(悪い木の陰にはちょっとでも休んではいけない。盗泉の水はまちがっても飲んではならない)

こんな潔癖な人が今どきいるでしょうか! 今、いろんな事件を起こしている人たちに声を大にして言いたいですね!
posted by suzuka at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ことわざ あ行 あ〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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